国際的に活躍するマリンバ奏者の一人として世界にその名を連ねてきている布谷氏は、秋田県大館市に生まれ、現在はドイツに在住している。現在、オランダの楽器メーカーのAdamsマリンバ専属アーティストとして、ドイツ国内を拠点にヨーロッパ各国、日本、アメリカで演奏活動を繰り広げている。

2012年5月号のPercussive Notes誌に、カバー・ストーリとしてインタビュー記事が掲載され、アメリカ国内の打楽器奏者はもとより、世界各国の打楽器奏者に反響を呼んだ。また、ヒューストン新聞では「黒い衣装をまとった布谷史人は、人を磁石のようにひきつけ、離さなかった。」と称賛され、ボストン・ヘラルド新聞においても“機敏で活気がある、彼はものすごい才能を秘めている”奏者として取り上げられた。

ドイツで行われた第3回世界マリンバ・コンクールにおいて3位を受賞したことをきっかけにマリンバ奏者としての活動を始める。そしてアメリカで行われたIma Hogg 若手音楽家のためのコンクールで1位、アストル・ピアソラに関する音楽のみを課題とする、イタリアで行われた第3回リベルタンゴ国際音楽コンクールのソロ部門において、日本人、マリンバ奏者として初となる優勝を果たした。その他にもアメリカでのPercussive Arts Society国際マリンバコンクールにおいて2位、日本で行われた第13回大曲新人音楽祭コンクール、第10回クラシック音楽コンクールにおいてそれぞれ最高位(1位無しの2位)を受賞し、その他にも様々な国際・国内コンクールにおいて受賞してきた。

これまでに「ゼルツマン・マリンバ・フェスティバル」、「南カリフォルニア打楽器アンサンブル・フェスティバル」、フランスの 「Journees de la Percussion」、「中部打楽器フェスティバル」、「福井マリンバ・セミナー」に招かれるなど、アメリカ、日本、ヨーロッパと様々な地域で演奏活動を繰り広げ、ソロイストとして、ヒューストン交響楽団( アメリカ)、OWL室内オーケストラ Minden(ドイツ)、仙台フィルハーモニー管弦楽団の他、様々な楽団とも共演も果たしている。またコーディネーターとして、2014年7月には国際的なマリンバ・フェスティバル「ゼルツマン・マリンバ・フェスティバル・オン・ツアー」を6日間に渡り秋田県大館市で開催し、成功を収めた他、「南カリフォルニア国際マリンバコンクール」、イタリアの「Percussive Arts Web Contest」、ルクセンブルグの「International Percussion Competition Luxembourg」、日本管打楽器コンクールのマリンバ部門などにおいて審査員を務めている。

デビューCD「赤とんぼ」は、Percussive Arts SocietyのPASマガジンにおいて「芸術的に作り上げられた音楽の、最もハイ・レべルな例の一つ」と絶賛され、2013年8月にオクタビア・レコードより発売した2枚目のCDとなる「種を蒔く人」は、レコード芸術において「布谷の演奏は深い」と評され、準特選版として推薦された。また2016年8月には、ドイツのレーベルOehms Classicsより、「ピアソラ・オン・マリンバ」、「クラシックス・オン・マリンバ」を2枚同時発売し、レコード芸術において2枚とも特選盤に選ばれる。2019年2月にリリースした「マリンバの為の協奏曲集」はヨーロッパ各地のラジオ局で取り上げられ、ベルギーのKlassiek Centraalより「Gouden Label」賞を受賞した他、BBCミュージック・マガジンにおいても最高点となる5つ星を受賞し、ルフトハンザ航空の機内エンターテイメントとしても取り上げられた。

7歳でピアノを、17歳でマリンバを習い始め、山形大学教育学部総合教育課程音楽文化コースを卒業後に渡米。2003年にボストン音楽院より奨学金を受けながら、同音楽院の修士課程マリンバ・パフォーマンス科を修了し、その後は同音楽院創立以来の初めてのアーティスト・ディプロマ科のマリンバ専攻生として、学費全額免除の奨学金のほか、学長からも特別賞与を授与し、2006年に卒業した。

これまでにマリンバ奏者であるナンシー・ゼルツマン、三村奈々恵、打楽器奏者であるパトリック・ホーレンベルク、岡田知之の各氏に師事した。また、音楽の知識を広めるため、マリンバをピアノ奏者であるDr. カール・ポーニャック、武田紀代美の各氏にも師事した。

現在は、ドイツ国立デトモルト音楽大学でマリンバ講師を務め、2015年9月からは地元秋田県大館市の観光大使としても活動している。また2015年から2018年までは京都市立芸術大学でマリンバの非常勤講師を務めた。